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思い出の本

昔昔のこと、子ども時代の本の記憶・・・・

幼児期か小学校の低学年の頃
絵のコンクールに応募して入賞していただいた絵本だと思うのですが。

<はなのすきなうし>
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<アルプスのきょうだい>
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特にこの中の
<ウルスリのすず>
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文字の読めない頃は親に読んでもらっていたと思います。
文字が読めるようになった小学校以降は何度も何度も自分で読んでいたようです。
<ウルスリのすず>お話しの最後に出てくる
「おかあさんは、むしたてのクリに、クリームをいっぱいかけて、もってきました。こんなに、たくさん!」
これが食べたくて母親に何度も何度も頼みました。その頃私の住んでいたところでは生クリームなど手に入らなく、『こんなものはできない!』と母親に叱られたことをよく覚えています。

小学校の6年の頃、図書室から本を借りる<競争>みたいなことがありました。
そこで図書室にいって適当に本を探していたら、表紙が真っ赤の本が目にとまりました。
あかね書房から出ていた<少年少女世界ノンフィクション全集>でした。そのうちの1冊を借りました。
探検家、人類学者のヘイエルダールが南米から葦の船で太平洋に漕ぎ出した<コンティキ号漂流記>
この本にハマりました。そこで全集の他の本を借りていきました。アフリカの探検記だとか・・
スウェーデンの地理学者ヘディンの<中央アジア探検記>、これにまたハマりました。
中学校以降、白水社から出ていたへディンの全集を買ってもらって、<自伝>やら<さまよえる湖>などを読んだり、同じく白水社から出ていた<中央アジアの探検記>の全集からイギリス、フランス、ドイツやロシアの歴史学者でありかつ探検家の物やら日本の大谷探検隊の物などに熱中していました。将来は中央アジア、特にタクラマカン砂漠周辺のオアシズに行ってみたくてたまりませんでした。そして中央アジアがイスラム化する以前の歴史に興味が移っていきました。高校の頃、東洋史学者の桑原隲蔵や白鳥庫吉などをわけもわからず読んでいたように思います。しかし本格的に東洋史などを勉強するには漢文の理解が必要になります。ところが漢文をはじめとして国語関連の成績は全くダメ!東洋史への夢は終わり。しかし未知な世界への興味は続きました。

さて時は移ろい、幼稚園の教員になって一番衝撃を受けた絵本

<ぞうのボタン>
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文字は一切なし!!
ページを移るごとに予期をし、物語を作っていく、楽しさ!
文字などというもの不自由さを思い知らされた一冊です。

幼稚園の教員をしていたので、幼児期から小学校低学年の頃の記憶が多少なりとも残っているのでしょう。

晩秋

急に寒くなりました。



庭の桜の葉はもう散ってしまいました。

今サザンカがいっぱい花をつけています。
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同じ仲間の茶もいっぱい花をつけています。
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子どもたちが在園していた頃はこれらの花は見られる対象でした。今はひっそりと咲いています。
植物にとっては何ら関係ないこと。

秋ですね!

昨今急に温度が下がり、秋めいてきました。

旧園庭にも毎年お馴染みの植物が花を咲かせたり、実をつけています。

ススキも穂を垂れています。
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芙蓉も花盛り。
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柘榴もいっぱい実をつけています。
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桜も紅葉してきました。
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植物を眺めていると、子どもたちの声が聞こえてくるようです。

幼稚園の終了

令和4(2022)年3月22日卒園式をもって保育を終了しました。
静岡県より令和4年8月31日付で幼稚園廃止、学校法人解散の認可を受けました 。令和5(2023)年3月末には園舎の解体工事が終了し、解散登記等の手続き、県へ書類の提出等全てが令和5年8月17日をもって終わりました。

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(園舎解体の跡地は半年経ってもう草茫々です。)

昭和幼稚園は昭和4年(1929年)3月20日に静岡県の認可を受け、93年にわたって幼児教育をおこなってまいりました。卒園生は11412名になります。当時浜松市には幼児教育の施設は数える程しかなく、私の祖父である初代園長故橋田光顕が幼児教育の重要性を鑑み寿量院の境内に開設いたしました。戦後新しい教育観に基づく幼児教育を父である2代目園長故橋田正顕が絵画教育や音楽教育や体育教育などを核として推進してまいりました。全国的にも注目を集めていました。

私が幼稚園に入った約35年前、教育要領が大きく変更した頃でした。いわく「発達に即して」だとか「遊びを中心にして」だとか「幼児の自主性」だとか、そんな語句が<お題目のように>溢れていたように思います。そしてそれらの語句の概念規定<定義>がほとんどされてなく、「曖昧」なままの状態であったように、そして現在もそのように思われます。

園児と接していく中で、「遊び」を考察していくことができました。そこからは「遊びの状態の開始」の条件、「遊びの状態の終息」の条件など「遊びを中心した」保育にとって有益なことも得られました。そして「遊び」を構成する要素として「心理的な」面だけでなく、場所、「空間」の重要性にも気付かされました。このことは園庭の構成にも活かされてきました。

園児と接していく中で、「発達に即して」という面では、身体発達、特に肩-肘―手首―手先といった腕の発達の過程とそれに伴う道具の関連が私にとって大きな「発見」でした。腕の発達に応じた道具(楽器、筆記用具、体育用具など)の使い方を通して、音楽、描画活動、運動などの諸分野を統一的に考察できることに繋がりました。

音楽教育においては私の姉である教頭だった瀬尾美智恵が音大を卒業して幼稚園に入った昭和40年代以降、太鼓などを使ったリズム活動(園児と教師との掛け合いで物語、リズムを作っていく)やマリンバ(大型木琴)の合奏などを展開していきました。瀬尾が病気で引退した後は私の妻の橋田恵子を中心としてそれまでに築いた方法に基づいて奏でて<楽しい>音楽を目指してきました。

園児の描画活動を通して、幼児の認識過程の変化を見ることにも繋がりました。
3歳児の頃まで「頭足人」を描きますが、なぜこのような表現をするのだろうか?
私たちが置かれている3次元(時間軸も含めれば4次元、あるいは心理的な面も含めればもっと多次元)の世界を2次元の紙に表す方法に大人とは異なった幼児なりの方法を作り出していることを見出しました。大人の体系と幼児の体系、どちらが優れているということではなく、それぞれが並立していること、次第に年齢を重ねていくにつれ、片方が消滅していくこと、しかし特殊な才能の持ち主には、それが温存しているなども私にとっての「発見」でした。

こんな教育方針に基づいて、毎日の保育や運動会、音楽会、作品展などの行事に園児達と一緒に活動してきた教職員のみんなの力は大きなものです。園児とともに教職員も成長していったと思っています。教職員に感謝です。

幼稚園運営を支えた祖母故橋田トモヨ、母の故橋田よ志乃にも感謝です。

建物や法人としての昭和幼稚園はなくなりましたが、人生100年の時代、卒園生や旧教職員の心の中にまだ数十年は生き続けることをもって幸と思う次第です。

HP(昭和幼稚園にようこそ)に掲載されている「昭和幼稚園ってどんなとこ?」、「昭和幼稚園の保育・教育観」「週刊しょうわ」、「幼児教育あれこれ」、「昭和たより」などをご覧いただいて、どんな幼稚園であったか、思いめぐらしていただけたら幸です。

令和(2023)年9月13日
                 学校法人 昭和学園 昭和幼稚園 橋田匡邦

なお、このブログはまだ続けるつもりです。


資料

過去の資料(指導要領など)をチェックしています。

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短い時間で20年分の資料に欠落がないかどうか、のチェックですので詳しく各資料を見ている暇はありません。

しかし園児名を見ると姿が浮かんできます。
特に思い出深い園児名に出くわすと、あれこれ思い出が蘇ってきます。

20歳前後になっているだろう現在はどうしているだろうか。



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プロフィール

m.k.masa

Author:m.k.masa
諸々の事柄に、なぜ?、どうして?という感覚をも持ち続けたい幼稚園園長です。
京大理学部卒、大学院修了
(うさぎ年です)

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