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<ヒトラーの時代>を読み了えて、<名取洋之助の写真集 ドイツ・1936年>と

<ヒトラーの時代>(中公新書)
著者池内紀氏は8月30日に亡くなられたそうで、お悔やみ申し上げます。(この本を購入した日でした)
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ヒトラーが独裁体制を確立していく過程が記述されています。特に興味を持ったのは「分かれ道(二)ー名取洋之助の場合」。
名取洋之助は10代後半にドイツに渡り、ちょっとしたきっかけで写真家になり、戦前、戦後にかけて一時代を築いた写真家、報道写真という分野の命名者、開拓者。著作の岩波新書<写真の読みかた>を私は20代に読んで、写真と文章の融合(嘘も真実も操る)の重要さを知った思い出があります。

そこに紹介されている(P65 図8 ブランデンブルク州コトブスにて)写真
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民族衣装をまとった女性たちが写っています。池内氏の文章で、民族衣装をまとった女性たちはドイツ人ではなくスラブ系のソルプ人とのこと。ベルリンオリンピック開催前後、対外的な関係でユダヤ人をはじめとしたアーリア人以外の迫害を一時的に抑制していた時期の写真で、民族衣装を纏わせているのはナチスの演出であると。名取洋之助はそんな演出に乗せられて撮影しているわけでなく、ナチスの意図を察しすぎているのだと。それが名取のナチス万歳のドイツから「分かれ道」なのでしょう。

<名取洋之助写真集 ドイツ・1936年>(岩波書店)も購入しました。
何点かコトブスにての写真があります。
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中央の民族衣装の女性たち、右端にナチスの腕章をつけた人物が写っています。何気ない写真のようですが、緊迫した状況を察することができます。

おじいさんと女の子の日常的な写真にも、「私たち好きこのんでこんな格好しているのではないわよ」という意味が読み取れるようです。
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この写真集は名取が死んで40年以上たって出版された物。生前はこれらの写真は封印されていたとか。
名取が生前にこれらの写真にキャプションをつけて写真集を作ったら、どんなものになったか、残念ながら叶わぬことです。

以前からナチス関係の事象になぜか興味があります。
タバコの害の啓発、労働時間の制限、休暇の必要性、労働に生きがいを持たせる政策(歓喜力行政策)、国民車(フォルクスワーゲン)の開発、住宅供給政策・・・・誤解を恐れずに言えば、人間性を高める政策の数々。どこぞの国のスローガン<月月火水木金金><欲しがりません勝つまでは>とは大違い。
ただし
適応範囲が限定されている=アーリア人のみ。アーリア人のみが優良人種で、スラブ人などはアーリア人の支配下、奴隷状態でアーリア人に奉仕すべき人種、ユダヤ人などは追放、戦争状態になり追放できなくなって抹殺の対象・・・・・
民族差別が根底にあるのですから、政策面だけで評価すべきものではありません。

どこの国でも多少なり民族差別的な面はあるでしょう。歴史的な面に大きく左右されています。ドイツでは中世以降、東方(スラブ人世界)進出に活路を見出した結果でしょう。どこぞの国も150年前から海を渡った大陸進出に活路も見出し、その過程で隣国の民族差別の形成に繋がるわけでしょう。
<活路を見出す>とは、そこから物的、人的な資源の収奪を根底にした政策でしょう。
今はそんなことあからさまにはできませんね。しかし巧妙になっているかもしれません。
国家、民族、といった集団として歴史的な面以外に、個々としての繋がりがもう一つの側面でしょう。一人一人の繋がりを大切にする配慮、後から形成される歴史的、社会的偏見に先立って常に大切にしてしておきたいことです。これは歴史的社会的な影響の少ない幼児期にこそふさわしい時期なのかもしれません。

翻って、もっと壮大にいってみれば、
ナチス的なアーリア民族と他の民族との優良意識の関係を
アーリア民族=人間に、他の民族=人間以外の生物に対応してみれば
人間の他の生物に対する優良意識とナチス的な優良意識と同じではないのではないでしょうか。
まさに人間は他の生物から収奪を繰り返しているのです。
もっと人間は謙虚にならなければいけません。



梅雨の花=ツユクサ

今年もアサガオやヒマワリのタネを蒔きました、発芽し成長しています。
タネを蒔かなくても園庭には様々な植物が見られます。

今年はツユクサがたくさん成長しました。
もともと園庭にはなかったのですが、20年以上前園外から採取して植えたものの子孫です。
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朝、可憐な小さい花を咲かせています。
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目立たない小さい花ですが、透き通った青が今の季節に爽やか雰囲気を漂わせています。

しかし、午後になると、あの可憐な花はどこに行ったの?
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午後になるとしおれてしまいます。
ますます目立たなくなってしまいます。

大きく目立つ花だけではなく、こんな可憐な花にも注目させていきたいですね。

人間でも同じ!大きく目立つ存在だけでなく、ひっそりとではあるけれど、それなりの存在感を持っているものがいっぱいいるんだと、目を向けていきませんか!!

伝達方法、制約

リストがベートーベンの9つの交響曲を全て1台のピアノでの演奏に編曲しています。

どんなものだろうか?と2組のものを買って聞いています。

リストの時代の頃のピアノを使った演奏。リストと同時代の人々はこんな風に聴いていただだろうか。
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現代のピアノを使った演奏では
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ピアノを弾けるわけでもなく、楽譜ももう読めなくなってしまっているので、聴いた感想でしかありませんが、オーケストラで聴くものと全体の音楽は同じ。ベートーベンがそこにいるのと変わらない。
しかしピアノだけでの制約がありますね。オーケストラではもっとダイナミックに鳴っている、音色の変化があり、・・・・
それにしてもピアノだけでベートーベンの交響曲を全て伝えられることの凄さ!

なぜリストはこんな高度な編曲を行ったのでしょうか?
解説本など見ていないので、私の感想です。

リストの時代、オーケストラがある都市の人しか聴けなっかたでしょう。
オーケストラが根拠地を離れて演奏旅行をすることも稀だったでしょう。
ごく限られた人しか聴く機会がなかったことでしょう。

オーケストラの存在しない<田舎>の住人はオーケストラのある都市に出かけるしかなかったのでしょう。
音楽の知識があれば、出版されている楽譜を手に入れればなんとなく想像はできたでしょうが。

そこでオーケストラとはいかないまでも、ピアノ1台あれば<田舎>でも直接音として聴く機会がもてる、こんなことがきっかけの一つになっているのでしょうね、きっと。

音楽の伝達、リストの時代はテレビ、ラジオ等の放送、CDをはじめとする音楽録音媒体、インターネットなどがあるわけでなく、演奏者と聴衆は同じ場所で同時刻で共有していなければ成立しませんでした。

現在は、同じ場所で同時刻というライブ演奏会、それ以外にライブ演奏を再現する手段が多々あります。私たちはライブ演奏を直接体験するよりも、再現される演奏で多くの音楽体験をしていますね。ライブ演奏を再現する技術的な発展は目を見張るものがあります。

過去に遡れば伝達の手段はいろいろな制約を受けています。
楽譜として出版する。リストはピアノに編曲する・・・・・

制約はマイナスばかりではないでしょう。
100%コピーできないのだから、そこに取捨選択、本質を際立たせるためのデフォルメも含めた変容・・・・・
そんなことがあるから元のものとは別な意味合いを持って迫ってくるのでしょう。
あるオーデオ評論家がレコード再生を<レコード演奏家>と称していたのもこんなことに関係しているのでしょうね。

私たちは直接体験する以外に、間接ですが、直接体験とほとんど変わらない体験を、場所と時間にとらわれずに受けるようになってきています。受ける身にとって、はたしていいことなのでしょうか?
そこに疑問を感じてしまいます。
直接体験と擬似体験が差がないものとなったら、感覚はどうなってしまうのだろう?
本質を見極めるための取捨選択、などの工夫などの思考の働きは?

便利すぎていい世の中!なんて、実は人間を否定するような悪い世の中!と思ってしまいます。

子ども達には、適度に<不便な>環境が必要と思ってしまいます。

思い浮かぶこと

習慣化したことには、どうしてそんなことするんだろう?という疑問が浮かんでこないものです。

日常の生活を振り返ってみても、
挨拶、食事の時のマナー、・・・・・・・

非日常のことも
宗教儀礼による葬儀、結婚式、・・・・・・

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教育の分野でも多々あります。
クラス、時間割、制服、運動場という空き空間、・・・・・・・

基本的には日常の生活に必要なことから始まったのでしょうが、習慣化、形式化、儀礼化してくると、生活上の必要性が忘れ去られてしまうように思われます。
また時代ととも生活様式も変化していき当初あった生活にとっての必然性がなくなってしまったのに、形式化、儀礼化のみが一人歩きしているように思われます。

一つ一つの習慣を振り返ってみるのはどうでしょうか?
「そんなこと、わざわざ掘り起こさなくても、なんとなくうまくいっているからいいじゃないの」
という声が聞こえてきそうです。

桜開花

園庭の桜の一本が開花しました。もう一本はまだ。
来週土曜が入園式ですから、満開の中で園児たちを迎えられそうです。

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保育が始まる頃は満開の桜、桜吹雪、地面に落下した花・・・教材になります。
子どもたちがどのようにするか?楽しみです。
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集めた花びらを入れる紙コップくらいを用意し、こちらから「こうしよう、あーしよう」とあまり声かけないようにしよう。
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ノーベル賞を受賞した本庶博士の講演で、<先生の言いなりになるな、先生と議論を戦わせるようになれ>とのことがありましたが、幼児でも同じかな。
(私も年をとりましたが、昔は若気の至りで指導教官にそんなことを言っていた記憶があります。)

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プロフィール

m.k.masa

Author:m.k.masa
諸々の事柄に、なぜ?、どうして?という感覚をも持ち続けたい幼稚園園長です。
京大理学部卒、大学院修了
(うさぎ年です)

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