昔のLPレコードなどをまとめてCD化してセットとしたものを最近せっせと購入しています。

ピアニスト、マルタ・アルゲリッチのセットものを相次いで注文してきました。
今日届いた「martha argerichi the collection 4 complete philips recordings」
はなのすきなうし-4

このなかの1枚「動物の謝肉祭 その他」
はなのすきなうし-3
「動物の謝肉祭」の後に
Alan Rindout(1935-1996)
Ferdinand
for speaker and solo violin Text:Munro Leaf
という曲が入っています。
なにこれ?ピアノはなく、独奏ヴァイオリン(キドン・クレーメル)をバックにした英語の朗読です。

英語は不得意、とくに聞くのは全くのダメ!しかし
「once upon a time in Spain there was a little bull and his name was Ferdinand.・・・・」
となんとか聞き取れるではないですか!
あれ!どっかで見たことのある文章だな!
なになに?題名がFerdinand?文がMunro Leaf?
これは!
はなのすきなうし-2

日本語版は!
はなのすきなうし-1

偶然、こんな「発見」をしました。
「はなのすきなうし」は私の大好きな絵本の一つです。
アルゲリッチはFerdinandの録音には入っていませんが、この絵本は知っているのでしょうね。
外は雨、肌寒い空模様ですが、「うきうき」した気分に包まれています。

(これらのCD、本はすべamazonで取り寄せが可能です。)

<はなのすきなうし>についてはこちらをご覧下さい。
<みんなと同じでなくてもいいの!>

このCDに入っている他の曲

Alan Ribout (1935-1996) Little Sad Sound
A melodrama for speaker and double basss Text::David Delve

Frieder Meschwitz(1936-1983)  Tier-Gebete (Animals' prayers)
 for speaker and piano Text:Carmen Bernos de Gasztold

これらの内容、テクストなど知っておられる方がありましたら、ご教示下さい。

昨日は朝日新聞で、本日は中日新聞で絵本の「読み聞かせ」の話題が取り上げられていました。きっと多くのメディアで取り上げられていることでしょう。
本に親しみ、読書好きにする良い機会ですね。

でも、ちょっとへそ曲がりな私は、読み聞かせる側が「読み聞かせ」が目的になっている、そんな感じがしてしまいます。最近は大型の絵本も作られて、「紙芝居」とどこが違うのかな?と思ってしまいます。

本来「本を読む」という行為は個人的なもので、
本を選ぶ、それを読む、読んでいろいろな感想を抱く、また知識を得る・・・
こんな一連の行為が連なっているのです。

「読み聞かせ」てもらって、それでお終い!ではあまりにも単純!
「読み聞かせ」てもらった本を、今度は自分で「読む」に結びつけられるように配慮したらどうなのでしょう!
多くの人数に「読み聞かせ」たなら、終わったら、その本をたくさん用意して、「自分で」「読める」ようになっていたらいいのに!

さて、キッチンセットのある「ごっこ遊び」のコーナーが先週から他へ移っているので、「絵本のコーナー」にしてみました。
絵本コーナー1

置いてある絵本は、福音館発行の「こどものとも 012」
この絵本のシリーズは文字が少なく、ひらがなを多少読めるようになってきた、年長児が自分で「読む」にはちょうど良いものです。(でも、初めてページを開いた際は、ひらがなの「拾い読み」です。)

ここに本があるよ!と誘って、園児達が集まってきます。
今回は教師は本を読みません。
年長児が「読み聞かせ」ます。
絵本コーナー2
妹に読み聞かせています。

絵本コーナー3
別の年長児が別の年少児に読み聞かせています。

こんな光景に触発されて、今度は年少児が自分で絵本を選んで「読んで」います。
絵本コーナー4
文字は「読めない」のですが、絵を見ながら絵本の世界に入り「読んで」います。

まさに個人の行為として、絵本を「読んで」いるのです。

昭和幼稚園のHPへもお越し下さい。
先の記事で「あおくんときいろちゃん レオ・レオーニ・作 藤田圭雄・訳 至光社」について書きました。

手元に英語版「little blue and little yellow  by Leo Lionni HODDER AND STOUGHTON」もあったので比べてみました。
あおくんときいろちゃん-1

英語版に出てくる「hug」とそれに対応する日本語が場面によって使い分けられているのに気づきました。

あおくんときいろちゃんが出会ってみどりになる場面
あおくんときいろちゃん-2
英語版では左ページ「there was little yellow!」 右ページ「Happily they hugged each other」
日本語版では左ページ「ばったり あ きいろちゃん」 右ページ「よかったね あおくんと きいろちゃんは うれしくて」

完全にみどりになってしまう場面
あおくんときいろちゃん-3
英語版 左ページ「and hugged each other」 右ページ「until they were green」
日本語版 左ページ「もう うれしくて うれしくて」 右ページ「とうとう みどりに なりました」

あおくんのぱぱ(まま)がきいろちゃんを抱いてみどりになる場面
あおくんときいろちゃん-4
英語版 左ページ「They hugged and kissed him」 右ページ「And they hugged little yellow too...but look...they became green!」
日本語版 左ページ「しっかりと だきあげました」 右ページ「こんどは きいろちゃんを だきました・・・おやおや ごらん みどりになるよ」

あおくんときいろちゃんの「ぱぱ」と「まま」もみどりになる場面
あおくんときいろちゃん-5
英語版 左ページ「They all hugged each other with joy」 右ページ「and the children played until suppertime」
日本語版 左ページ「おやたちも うれしくて やっぱり みどりに なりました」 右ページ「こどもたちは ばんごはんまで たのしく あそびました」

英語版では、あおくんときいろちゃんが「みどり」になる原因も、あおくんの親がきいろちゃんと「みどり」になる原因も、親同士が「みどり」になる原因も全て「hug」です。
しかし日本語版では「hug=抱く」として使っているのは、大人(親)が子どもと行っている場面のみです。
子ども同士、あるいは親同士では、「抱く」といった直接的な行為を示してはいません。

日本と英語圏での「抱く」と「hug」の文化的な背景の差があるのでしょう。

欧米の映画や映像を観ると、大人同士も含めて、人々が公衆の面前で「抱き合って」いるのをよく見かけるような気がします。深い愛情表現も、軽い「あいさつ」的なことも「hug」に含まれているのでしょう。(海外での生活がないので、詳しくはわかりませんが)

ひるがえって、日本ではどうでしょうか?
大人が子どもを「抱っこ」することは「ほほえましい」愛情表現でしょう。
しかし、同じくらいの年齢(子ども同士、大人同士)で、公衆の面前で「抱き合う」のは「恥ずかしい」「さけるべき」行為なのでしょう。

そんな文化的な「違い」に配慮したすばらしい訳だと感じいりました!

辞書で「hug」を調べても「抱く」ぐらいしか出ていません。
この絵本で、一つの言葉の文化的な背景まで考えさせてくれるなんて、すばらしいことです!

私達日本で生活する日本人は日本語の持っている「語感」を大切にしたいと常々思っています。
海外との交流が頻繁になってくるこの時代、日本語、およびその背景にある「日本」の文化を「意識」して大切にしたいと思います。これを基盤として、英語を含めた多言語の世界に、これからの日本人は飛び立ってほしく思います。


Little Blue and Little YellowLittle Blue and Little Yellow
(1995/08/24)
Leo Lionni

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<翻訳とはある言葉を他の言語に単純に置き換えるのではない>
言葉の文化的な背景を考えさせるこの本から多くのことを学びました。
日本語と外国語 (岩波新書)日本語と外国語 (岩波新書)
(1990/01/22)
鈴木 孝夫

商品詳細を見る



昭和幼稚園のホームページにもお越し下さい。
今日4月7日は入園式でした。
サクラが満開になり暖かい日差しのもとで、お父さんやお母さんと一緒に、少しお洒落をした子ども達が、少し緊張した表情で幼稚園に来ました。

入園式では卒園式と同様に絵本を読むことにしています。
今年は『あおくんときいろちゃん』(レオ・レオーニ・作 藤田圭雄・訳)
あおくんときいろちゃん
「あお」くんと「きいろ」ちゃんは仲良しのお友達。
・・・・・
「あお」くんと「きいろ」ちゃんが、だきあって・・「みどり」になって・・・
・・・・・

ちぎった色紙のような「あお」くんと「きいろ」ちゃん
顔や身体が描かれていないのに、
きっと心の中では思い思いの表情をする「あお」くんと「きいろ」ちゃんになるのでしょう。

楽しく遊んでいるとき、楽しい笑顔に溢れた表情に!

「みどり」になった「あお」くん「きいろ」ちゃんは
パパとママに「このこはうちのこではないよ」と言われて悲しくなり、
悲しい表情の顔に変身しているのでしょう!

抽象的な表現から具体的なことを想起する・・・・
<うれしい>ってどんなこと?どんな顔?
<なかよし>ってどんなこと?どんな顔?
<かなしい>ってどんなこと?どんな顔?
・・・・・・
大変<知的な作業>ですね。
絵本1冊でもいろいろなことに思いを馳せることができます。
・・・・・・
内容や感情をストレートに描くのではなく、読む(聞く)者の思いに任せる、そんな幅のある絵本です。
だから、年齢を超越して読み継がれているのでしょう!

・・・・・・・・・・
1回の読み聞かせでは、それっきりでお終い。
色々な感情や表情を思い起こすように、これから何回も何回も子ども達に読んでいこう。
そして読み聞かせてもらわなくも、
本棚から自分で取り出し、一人で(絵を読み解いて)読めるように!

そして、「あお」くんと「きいろ」ちゃんのように、
なかよしのおともだちをみつけるように!

昭和幼稚園のホームページにもお越し下さい。


あおくんときいろちゃん (至光社国際版絵本)あおくんときいろちゃん (至光社国際版絵本)
(1984/01)
レオ・レオーニ

商品詳細を見る
3月21日は私の幼稚園の卒園式でした。

毎年、式では卒園児や保護者の前で絵本を読むことにしています。

今年は「はなのすきなうし」(岩波子どもの本)。
はなのすきなうし

フェルジナンドという牛は子どもの頃から、草のうえに座って静かに花のにおいを嗅いでいるのが好きでした。
ほかの牛達は、そうではなく、とんだり、はねたり、かけまわったりしてくらしていました。
母親は、息子は他の牛と違っていて、ひとりぼっちでさびしくはないか、と心配になりました。
しかし、息子がさびしがっていないことを知り、息子の好きなようにしておいてやりました。
・・・・

全員が皆同じであることはありません。
お互いの違いを認めるようになって欲しいと願います。
同じでないことで、排除されるようなこともきっと出くわすでしょう。
そんな時、お父さん、お母さん、支えになって下さい。(フェルジナンドのお母さんのように)

この社会はまだ「同じ」を無意識に求めているように思われます。
「同じ」だと「安心」するようです。

人間も生物も生物でないものも、ありとあらゆるもの、全く同一のものなど有り得ないのです。
同一を求めることは「幻想」です。
それぞれの違いがあるからこそ、「ゆるやかな」連合が必要になってくるのだと思うのですが。
それが「社会」でしょう。

昭和幼稚園のホームページにもお越し下さい。


はなのすきなうし (岩波の子どもの本 (11))はなのすきなうし (岩波の子どもの本 (11))
(1954/12/10)
マンロー・リーフ

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これを聞きながら。イタリアのバロック協奏曲をトランペットで!

Concertos ItaliensConcertos Italiens
(2010/03/29)
Alison Balsom

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プロフィール

m.k.masa

Author:m.k.masa
諸々の事柄に、なぜ?、どうして?という感覚をも持ち続けたい幼稚園園長です。
京大理学部卒、大学院修了
(うさぎ年です)

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