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身の回りの環境から受けること

立秋を過ぎたとはいえ、夏真っ盛りの今日この頃です。

朝顔が咲き、
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木々からはセミの大合唱が聞こえてきます。
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午後になると、オシロイバナが開花しています。
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いつもなら春にタネをまいたヒマワリが開花している頃ですが、今年は発芽した頃、カラスにほとんど食べられてしまいました。
5月の中旬にもう一度タネをまいたので、まだ開花の前です。
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ヒマワリの前に立てているのは年長児、年中児が描いた<ヒマワリ>の<名札>です。
<ひらがな>などの文字で<名札>を書いても園児にとって<意味>あることでしょうか?
これから咲く状況を反映した<絵>としたことは、文字記号と違って園児に直接訴える記号となっているでしょう。
「いまは、はっぱだけだけれど、もうじき、はながさくんだよね・・・・」

大人は記号としてすぐ<文字>に頼ろうとしてしまいます。無意識のうちに!
しかし、文字から得られる情報は、ごく限られたものしかありません。
視覚、聴覚、・・・・五感を通して得られるをもっと大切にしていかなければなりません。

木々から、<ジージージー、シャーシャーシャー・・・・>と聞こえて、目を凝らして音の方向を探すと、セミの姿を発見!
大人から「セミ」という名前を聞き、<セミ>という概念を形成していく。さらにセミ取りを通して、鳴くセミと鳴かないセミがあったり、アブラゼミ、とかクマゼミとか種類があったり、・・・・<セミ>という内容を豊かにしていく・・・・
まさに、身の回りの環境から、感覚を通して様々な情報を受け、また受けた情報からフィードバックして環境と関わって、さらに豊かな内容に変わっていく。・・・・
そこに話し言葉、聞き言葉が<記号>として介在してきます。<文字化>などはもっと後で十分でしょう。文字は大変便利なものですが、ごく限られた情報量しかありません。言語学者ソシュールが考察したのは話言葉、当然のことでしょうね。

幼児教育でも文字など記号を教える状況が多くなってきています。
そんなのは後回しにして、もっと直接体験を多く!と、訴えたくなります。
そして直接体験がたくさんできる環境の下で!

秋には赤い実がなるよ!(モチノキ)
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もうじき大きな桃色の花が咲くよ!(芙蓉)
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なまえ・文字・記号

毎年初夏に<ひまわり>や<あさがお>の種を植えます。

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発芽し、双葉が出て、本葉が出、成長し、花が咲き、最後には枯れてしまいます。

種を植えた花壇やプランターに文字で<ひまわり>とか<あさがお>とか書いた標識を立てるのが一般的でしょう。
しかし、幼児にとってふさわしい標識でしょうか。

<シニフィエ>(記号内容、意味されるもの)と<シニフィアン>(記号表現、意味するもの)がセットとなって記号として機能するものです。

例えば、記号<ひまわり>
 <シニフィエ>・・成長し、大きな黄色の花が咲く・・・
 <シニフィアン>・・ひらがなで書けば<ひまわり>、漢字で書けば<向日葵>、発音すれば<himawari>・・・

幼児期の子どもにとってこのどちらも未知かあるいは不確でしょう。

成長に注目させ、<シニフィエ>、<シニフィアン>を定着させるように、花壇やプランターにこんな標識をつけています。
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成長の過程にそって、標識の絵柄も変化していきます。現在の成長の状態よりちょっと先の状態の絵柄にしていきます。
実際の状態から「こんどはどうなるのだろう?」と関心が生まれます。

成長の過程に注目し<シニフィエ>が記憶されていきます。その際<himawari>と聞いたり、口に出し発音すれば、記号<ひまわり>が形成されていきます。文字化はもっと後でもいいでしょう。

大人と子どもはいろいろな面で異なります。
とりわけ、文字や記号に慣れっこになっている大人とは異なることを意識してみる必要があります。

<昭和幼稚園のHPへもお越し下さい>

帽子のデザインと記号

今年も帽子のデザインを行いました。

帽子のてっぺんに描かれる模様で、年少組、年中組、年長組とわかるような「約束」になっています。

「帽子屋さん」風に並べてみました。
帽子-5

上の列は「年長」です。顔の絵が描かれています。色の違いが「クラス」を示しています。
左から黄色=ほし組、青=つき組、赤=ゆき組

中段の列は「年中」です。3本の線の交差が描かれています。色の違いが「クラス」を示しています。
黄色=うめ組、赤=たけ組

下段の列は「年少」です。大きな丸が描かれています。同様に色の違いが「クラス」を示しています。
赤=もも組。青=すみれ組、黄色=ふじ組

帽子のツバの模様はそれぞれです。

この帽子のデザインが組を示す、ということは「昭和幼稚園」だけの約束ですね。
そんな約束を知らない者にとっては、「きれいな帽子だね!」「いろいろな模様があるな!」といった感想でしょう。

このことが記号の重要なことです。単なる「約束ごと」にすぎません。「約束ごと」が適用される範囲「集団」があり、それ以外のところでは、なんら「意味」をもちません。

記号と事象との対応はこのように単なる「約束」です。そしてその適用される「範囲」も限定的なことです。

クラスを示す記号として、帽子のデザインを示しましたが、上の文章でも出ているように、「つき組」とか「もも組」とかいった言葉としての記号もあります。
記号と対象とは常に1対1の関係にあるわけではありません。


言語学者ソシュールの言わんとしている記号の内容を端的にこの帽子のデザインが示しているように思われます。

この「帽子屋さん」風の展示をお終いにして、年長児に各クラスに配ってもらいました。「これは◯◯組」とか言いながら、間違いなく配ってくれました。

年長児はソシュール流の記号や言葉についての基礎的なことがわかっているのですね。

やたらと抽象的な「言葉」などを無闇に子どもに注入するようなことよりも、こんな基礎的な<記号や言葉の概念>を日常生活において使うように配慮するほうが、遥かに「知的」で将来の言語や記号を使う生活にとって、有効で「生産的な」活動だと思いませんか。

さて以下の写真からクラスを当てて下さい!
帽子−1

帽子-2

帽子-3

帽子-4

帽子-6

帽子-7

こども達はてっぺんに描かれた模様と帽子のツバに描かれた模様から自分の帽子を選び取っています。それぞれの個人にとってツバの模様も記号なのですね。その記号はその個人にのみ適用されるものですが。

<帽子のデザインからー記号・言葉と内容>もご覧下さい。

<昭和幼稚園のHPへもお越し下さい>

「文字」で食べるの?

有名ホテルのレストランで食材の内容、産地などの偽装が明るみになりニュースで話題になっていますね。
偽装は数年前からあったようです。味覚だけではそれらの偽装はバレなかった、ということです。
それだけ、味覚は曖昧な感覚かもしれません。

輸入の赤身の牛肉と上等な和牛の霜降り肉は味覚で区別できるでしょうが、
松坂牛と神戸牛と米澤牛を舌だけで区別できる人はいるのでしょうか?

メニューや食材のレッテルに記されている「◯◯」という文字表示に頼っているのですね。
味覚が主でなく、文字から判断される情報に味覚を従わせているのですね。
「◯◯だから美味しい」「△△だからこんな程度か」なんてね。

だから騙そうと思えば、いくらでも騙せるのです。
新聞によく注意を向ければ、食材の産地偽装、内容の偽装など日々頻繁にあるようです。

この事件は「文字=記号」というものの本質をかいま見せています。
文字=記号は「意味するもの」、「意味されるもの」の両面をもっていて、それは単なる社会の約束事でしかない、現実の実体とは本質的には結びついてはいない云々。
単なる文字情報としては「約束事」でしかない「◯◯産」を
ホテル側(騙す方は)単なる文字だけよ、でもきっと客(読む方)は実際の産地のものと受け取るだろう・・

文字などの記号の影響をそれほど受けていない幼児や子どもだったら
メニューに「◯◯産の〜」と書かれていても、なんのこっちゃかわからないわけで、自分の味覚で判断して
「おいしい〜!」とか「まずい〜!」とかになるでしょうね。
味覚も成長とともに変化していきます。また社会的な影響を受けていきます。
子どもに豊かな味覚の世界へ導いて行くことの大切さを感じます。
高価な食材ではなく、地産地消に代表されるような、身近な、生産、調理の手順がはっきりとしているようなもので!

お母さん方、よろしくお願いします。

言葉の感覚−3

ミュニケーションを成り立たせるためには、言葉がないとできませんね。
前回や前々回に書いてきたように、言葉には地域、国等の社会集団によってズレがあります。個人間でもズレがあるでしょう。
言葉に思いを巡らせるとキリがありません。
つぼみ

今年に入ってたまたま本屋で<「言葉とは何か」丸山圭三郎(ちくま学芸文庫)>が目に入りました。ソシュールの言語観をベースにしたもので、ここのカテゴリー<ことば・文字・記号>を整理する意味でも大変参考になりました。

言葉は物や概念に付けられたレッテルではない。人間の意識外に物や概念が存在するのではなく、逆に人間が意識し、言葉というもので物や概念を作り出しているのですね。
そして、それらの物や概念などは互いに「独立」しているのではなく、他との関連で成り立っているものなんですね。(色の「赤」でもなく「黄色」でもないから「橙」というのをつくりだす、なんてことかな)

このカテゴリーの中の<落葉の色は?><帽子のデザインから−記号・言葉と内容>はまさにこんなソシュール流の方法だったんだと思うに至ります。ソシュール流に「意味するもの(シニフィアン)」と「意味されるもの(シニフィエ)」とか使えば、かっこ良かったな。(この意味するもの、意味されるもの、かつては能記、所記とか書かれ、学生時代に読まされた文献では全くなんのことかチンプンカンプンだったことを思い出します)
葉っぱ

物事に言葉のレッテルを貼るというような言語教育ではなく、(ソシュールが見抜いたような)言葉のシステムを構築することが言語教育が基礎なのでしょう。そこには全世界で共通なシステムではなく、地域、社会階層、・・・個人のレベル・・いろいろなレベルで差があるシステムなのでしょう。
幼児期こそ、言語の基礎ができつつある時期です。「言葉のレッテル」を貼ってお終いではなく、
色々な場面で、習得している言葉を使い、それが適用でない場合に遭遇したら、新しい言葉を獲得し、または作り出し・・・といったことの連続(言葉のシステムの構築)を子ども達と一緒に行おうではありませんか。

<昭和幼稚園のHPにもお越し下さい>
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プロフィール

m.k.masa

Author:m.k.masa
諸々の事柄に、なぜ?、どうして?という感覚をも持ち続けたい幼稚園園長です。
京大理学部卒、大学院修了
(うさぎ年です)

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