脚下照顧=足もとに注意せよ。真理を外にではなく、自己自身の内に求めよ(広辞苑より)

最近の情報化社会では知らず知らずのうちにいろいろな情報が入り込んできます。それらを吟味する猶予もなく、目新しい、そしていかにも「おしいしそうな」情報が・・・・。

それらを鵜呑みにすることなく、ちょっと立ち止まって、自分の場合に置き換えて確かめることが、増々必要になると思うのです。

上っ面だけで、暗黙に追従しているだけのようなものがいっぱい満ち溢れているような気がします。

そんななかで、リンクさせていただいている<あそびのアトリエ リボンクラブ大阪池田ルーム>や<あしやあそぼくらぶ>では「脚下照顧」の記事に溢れ、こちらも自分自身を「脚下照顧」することにつながります。

<あそびのアトリエ リボンクラブ大阪池田ルーム>の中で『こどもの「教育」とは?-2-』を引用させてもらいます。

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前回、『お母さんができることはあります』かきましたが、

これは、こどもがどう育つか母親一挙全てに責任がかかっているというようなプレッシャーを与える意味ではありません

「こどもを取り巻く周りの大人」という意味で、比較的お母さんがこどもの周辺にいることが多いためです

では、その『できること』とは何でしょうか

それは、「目の前のこどもをよく見る」あるいは、「観察する」こと

「こどものすること、関心のあることに大人も興味を持ち、認め、理解を示すこと」

「こどもが一人でできるように、環境を整えたり、適切な言葉がけやサポートをすること」

「なるべくこどものペースに合わせた刺激の少ない生活をすること」

「人間がどのような過程を経て育つのかの道筋を学び、こどもの発達を助けること」

おおまかにまとめると、このようなことだと思います

いたって普通のことなので、ことさら列挙するほどのことではないのかもしれません

かつて日本のこどもたちはこのように育てられてきたことと思います

わたしの祖母の年代の人たちは、
こどもの数も多く、一日中とても忙しく働いていました

経済的にも物質的にも現在とは全く違う生活のなかで、

こどもは自分でやるしかなく、失敗を繰り返しながら、上の子に助けられながら成長したことでしょう

そこに親からの干渉はありません

こどもが自立できる程よい距離感があったのです

しかし現在は、こどもを産む数も減り、経済的にも物質的にも豊かになり、
お母さんはこどもと関われる時間が長くなりました

長くいれるのは良いこととしても、
そのためにこどものやること全てが目に入ります

上記のことを知らない「待てない」お母さんは、思うようにならないこどもにイライラしたり、他人と比べて評価するという悪い側面もあるのです

(過干渉やネグレクトは深刻な社会問題です)

祖母の世代の子育て期に比べて、現在の若者の離職率が高いことは意欲の乏しさとともに、自立に向けた育児・教育がなされなかったということです

子どもを取り巻く「育児」や「保育」において大切なことは、時代が変わるとも本質的なことは大きく変わらないはずです

ある分野からの科学的な裏付けで証明され、いっときもてはやされることがあっても、

目の前の子どもをよく観察し、子ども自身の成長を信頼して育てることができれば、大きく道を外れることはないと思うのです

どんな人間に成長してほしいのか、
生後抱いたときに願ったことを思い出すと、

流行りに乗ったり、謳い文句に踊らされることなく、しっかり見つめたいと強い気持ちでいたいのです

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目先の目新しいことに振り回されるのではなく、「脚下照顧」ですよね。
プロフィール

m.k.masa

Author:m.k.masa
諸々の事柄に、なぜ?、どうして?という感覚をも持ち続けたい幼稚園園長です。
京大理学部卒、大学院修了
(うさぎ年です)

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