鉛筆などの筆記用具の持ち方で「正しい」持ち方なる仕種が指導されています。

「正しい」とはなんでしょうか?

こような仕種でしょうか。
持ち方-4

持ち方-3

それでは、このような仕種はどうでしょうか?
持ち方-2

持ち方-1

先の鉛筆の持ち方とは異なります。
先に鉛筆の持ち方を「正しい」とすれば、この持ち方は「正しく」ありません。
しかし、指先ではなく、腕を大きく動かして紙いっぱいに線を描くことでは、このような持ち方のほうが、動きに「無駄」がなく「適した」仕種ではありませんか。

このような場面では、先ほどの鉛筆の持ち方のような「仕種」は「正しく」ないかもしれません。

文字を書くような、手首、指を細かく動かして細かい作業をする仕種では先の鉛筆のような持ち方が、<動作に「無理」がない>=「正しい」ということになるのでしょう。

画架(イーゼル)に紙を立てかけ、腕を大きく動かして描く場合では
持ち方-6

持ち方-5

先に紹介した鉛筆の持ち方ともクレパスの持ち方とも異なる絵筆の持ち方です。

ほぼ垂直な位置にある紙に向かって、立って絵筆を大きく動かすには、このような持ち方は<動作に「無理」がない>ことになります。鉛筆の持ち方では大きく腕を動かすにはちょっと「無理」があります。

「正しい」とは前提となる条件があります。
文字等を書くなどの細かい動作が要求される場合は<一般的な鉛筆も持ち方>が「正しい」
しかし、前提となる条件が異なり、腕を大きく動かすことが要求される場合は、他の方法が「正しい」・・
筆記用具の持ち方でも前提となる条件で多様な「正しい」があります。

はっぱ

筆記用具の持ち方に限らず、「正しい」とは条件付ではないでしょうか。
人間社会の全てに及ぶことではないでしょうか。
民族、それを取り囲む自然条件等によって規定される文化、それらが条件となって<条件付き」の「正しさ」>、多種多様な「正しさ」がいっぱい存在しているのです。

食事の仕方だって社会が異なれば、いろいろなマナーがあるでしょう。一方の社会では「眉をひそめる」ような動作もある社会では「正しい」マナー、なんて例はいっぱいありますね。

私達は自分の属する社会、文化集団のことあまり意識して生活していません。だからそこでの「正しさ」が限定的だとも意識していないでしょう。だから違う文化の<行動、動作、思考>などに出くわしたら、自分の「正しさ」を基準にして、違和感、拒否あるいは蔑視などを生じてしまいがちです。

歴史を顧みれば、また宗教に起因する戦争、紛争もそんな例のオンパレードです。

「正しさ」は「絶対的」なものでなく、相対的であり、多様であるといきたいですね。
プロフィール

m.k.masa

Author:m.k.masa
諸々の事柄に、なぜ?、どうして?という感覚をも持ち続けたい幼稚園園長です。
京大理学部卒、大学院修了
(うさぎ年です)

最新記事
ランキング
にほんブログ村 教育ブログ 幼児教育へ



人気ブログランキングへ
最新コメント
最新トラックバック
ご意見、ご感想はこちらから

名前:
メール:
件名:
本文:

カウンター
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

フリーエリア