先日コンサートに行ってきました。
プログラムの一つは日本初演という、ガヴリイル・ポポーフ(Gavriil Popov)交響曲1番
(他のプログラムを目当てにいったので、これを聴きたくていったのではないのですが)
ポポーフはショスタコービッチとほぼ同世代の旧ソ連の音楽家、解説によれば2人は生涯の盟友であったとか。
1935年3月22日の初演の翌日「敵対する階級の思想」として批判され、その後演奏が禁止されてしまったという、<曰く付き>の音楽です。

厚い管楽器群、打楽器群、チェレスタ、ハープ2台、と大編成です。
強烈なフォルティシモから始まる長大な音楽で、約50分もかかる大作です。
感想は? 私にとっては、強烈な音のイメージだけで、解らない音楽でした。
時を経て再度聴いてみたら変わるかもしれませんが。
長いですが、ちょっとだけ聴いてみて下さい。


気になったのが、曲が「敵対する階級の思想」と批判されたこと。
この例のように、旧ソ連では音楽などの芸術分野、また科学分野でも「敵対する階級の思想」なるレッテル貼りが横行していたようですね。
表題が付いているのでもなく、歌唱などが付随するのでもない純器楽曲に、どのような理由で「思想性」があるのでしょうか。
メロディー、リズム、音の強弱、音色など音楽を構成する要素は「思想性」とは基本的に無縁でしょう。
それらの要素から引き起こされる「感覚」から、蓄積された記憶、取り巻く様々な状況などが組合わされ「感情」が生じ、また「思想性」なるものへと飛躍していくのでしょう。

ここで思い起こしたのがソシュール流の言語(記号)の考え方。音楽も記号の一種。
記号はシニフィエ(記号内容)とシニフィアン(記号表現)の二つの側面が分ちがたく結びついたものである。
オーケストラが奏でているのが記号表現としてのシニフィアン。
それを聴いて心に浮かぶ、感情、心情、あるいは「思想」といったものがシニフィエ。
そして記号が存在しえるのは記号としてのシステム、文化としてのシステムがあるからである。そしてそのシステムは絶対的なものではなく、恣意的なものである。

ポポーフの交響曲を「敵対する階級の思想」としてしまう旧ソ連の「音楽文化システム」なのでしょう。
旧ソ連崩壊の直前にあったペレストロイカ期にポポーフの再評価が始まったそうですが、「音楽文化シズテム」が変わってきたのでしょう。

「音楽文化システム」も恣意的なものゆえ、いつの時代にも変わらず評価の定まった音楽作品というのも難しいものなのかもしれません。
子ども達を取り巻く音楽環境も時代とともに変化しているのですね。
昔を知る世代としては、懐かしい童謡がなくなっていくのは寂しいかぎりです。
若い世代の教師からして異なる「音楽文化システム」ですから。

とはいいつつ、バッハとかモーツアルト、ベートーベンなどクラシックの名曲は生き残っているようです。
よくきいてみれば昔通りの演奏様式ではなく現在の時代に即した「文化システム」に対応した演奏形式(シニフィアン)になっているのでしょう。50年前のバッハ演奏と現代のバッハ演奏は全く同じではないですから。

プロフィール

m.k.masa

Author:m.k.masa
諸々の事柄に、なぜ?、どうして?という感覚をも持ち続けたい幼稚園園長です。
京大理学部卒、大学院修了
(うさぎ年です)

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