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幼児の絵画からー基準線(基底線)、空間

普通の大人は絵を描く時、ある一点から眺めたように(写真を撮るように)描きます。
しかし子どもたちは、そうとは限りません。

ドングリ拾いに行った絵です。
年少児
2011-09-16-009e5のコピー
ドングリは地面にいっぱい落ちていました。
画面全体はドングリがいっぱい落ちている地面です。しかし、人物の立っている基準線はその地面の一部です。人物の立っている基底線とドングリの落ちている地面とが融合しています。

年中児
2011-09-16-005e5のコピー
同じ基底線(地面)にドングリの木も人物も落ちているドングリも描かれています。
大人の表現と共通する、一つの視点から描かれた表現です。

舞台で演奏し、観客席で観客が観ている、音楽会の絵です。

これら2枚の絵は、会場の奥から舞台、観客席を眺めている表現です。観客席の人物は、後頭部、背中になっています。
2012-02-25-021e5のコピー

2012-02-25-002-2e5のコピー
写真のような、大人の表現と同じような表現です。

しかし、こんな表現もあります。
2012-02-25-008-1e5のコピー
舞台上の人物も舞台を観ているはずの観客席の人物もこちらを向いています。舞台上の人物を描く基準線の向きと、観客席の人物を描く基準線の向きが逆になっています。

またこんな表現もあります。
2012-02-25-029e5のコピー
観客席の人物は逆さまに描かれています。舞台上の人物は会場の奥から眺めたようになっています。観客席の人物は会場の天井から俯瞰したような表現となっていて、舞台上の人物を描く視点と、観客席の人物を描く視点は異なっています。

年長児のハイキングに行った絵です。
P1111470のコピー
山に登っている二人の人物、それぞれ山の面に対して直交して描かれています。つまり人物を描く基準線は山の面になっています。大人だったら山頂にいる人物も斜面を登っている人物も同じように画面の垂直方向に描かれると思います。
大人は(学校教育で学習した結果、重力)を意識して、<安定>した状態は画面全体の重力方向(垂直)である、と(無意識に)一定の基準線で描かれるのですが、子どもの場合、立っているそれぞれの基準線に対して直交する方向が<安定>であると認識しているようです。子どもが描く絵には、このような基準線に対して直交するように人物や物が描かれる例が多く見られます。大人だって重力よりもっと大きな力がかかっている場合(例えば、ジェットコースターに乗っている場合など)基準面に対して直交する方向が<安定>と考え、そのように表現するのではないでしょうか。

年長児のキャンプファイヤーの絵です。
P1111491のコピー
キャンプファイヤーを取り囲む丸太(茶色の棒)に皆が座っています(「座る」表現がまだできないので、「立っている」ように描かれています)。人物が丸太から転げ落ちないように「安定」して座っているように、丸太に対して直交して描かれています。
それぞれの人物を描く基準線はそれぞれの丸太になっていて、「多重な基準線」を持った表現です。

子どもの絵には、画面全体を統一する視点、基準線(写真を撮影するような視点)で描かれる場合よりも、それぞれの事物のに対して、いろいろな基準線で描かれる場合がほとんどです。画面全体を眺めると、それぞれの事物が画面に点在しているような表現になっています。商品を展示してする<カタログ>のようだと<カタログ表現>ともいわれています。

幼児期や小学校低学年の絵画では、人物や事物を描く時、その<特徴的なこと>を描くといわれています。
例えば、人物では『頭、身体、手足があって、頭には顔があり、顔には目、口があり・・・・」というわけです。したがって、その<特徴的なこと>を全て描かなければならない、という制約を持っているようです。人物が走ったり、物を持ったり、三輪車に乗ったり、跳び箱を跳び越えたり、・・・といった動作や、例えば、跳び箱を跳ぶ場合、横から見れば、足の片方は跳び箱で隠される、といった事物の空間上の重なりを表現する方法はまだ未分化です。2次元の紙に3次元、時間軸を入れれば4次元のこの世界を表現するのに、先に述べた制約を踏まえて、子どもは、表現する事物一つ一つにそれぞれ空間を用意する、といった工夫を凝らしているのです。2次元の紙に3次元を表現する<遠近法>、<透視画法>(この方法は画面全体を一つの視点で描く方法)はまだこれからの方法です。
ピカソのゲルニカなどの絵には、正面から見た顔と横顔が一つの頭に描かれています。これなど絵に基準線が複数ある表現です。二つの表情を一つの画面で表しうる方法です。大人の場合でも表現の幅を拡大していくと、子どもの表現方法と近いものが現れてくるのですね。

キャンプファイアーの絵では暗かったからと画面全体を薄い黒で塗っていますが、ほとんどの絵では白い何も描いていなき空間が残っています。この白い空間は<何も無い>空間なのでしょうか?
そうではなく、いろいろな事象が生ずる可能性をもった場所なのです。物理学的にいえば多種多様な<場(field)>なのです。描き忘れたことがあったら、そこに描けばいい。その白い残された空間は、思いついたらいつでもいろいろな事象が生ずる場所なのです。描かれなくても観ているといろいろな事象が生じてくるように思わせる場所でもあります。

白い部分が残っていると、白い部分が残らないように、塗りつぶすように指導する絵の指導者がいるようですが、子どもの認識に対して無知な大人と言わざるを得ません。塗りつぶすことで絵の<奥行き>がなくなり、<止まった>状態になり、絵の<死滅>をもたらします。

子どもの絵画から、大人とは異なる子どもの認識、表現方法など様々なことが溢れ出てきます。それらが大人と比べて<劣っている>のではなく、子どもの<文化>なのです。そして硬直した大人の認識を通り越して現代の物理学的な認識などにつながるものがあるように思えてきます。

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m.k.masa

Author:m.k.masa
諸々の事柄に、なぜ?、どうして?という感覚をも持ち続けたい幼稚園園長です。
京大理学部卒、大学院修了
(うさぎ年です)

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