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<遊び>の発端ー空間と物

砂場の周りに柵を置いて、園庭を砂場がある側と砂場の外の側を区別してみました。完全に区別したのではなく、出入り口を設けています。
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砂場の側では、砂場の玩具(コップやシャベル)使って、<ままごと>や砂いじりの遊びが始まっています。
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柵で園庭を区切ってなかったときには、砂場の玩具を園庭の至る所に持ち出していたのですが、今度は柵の出入り口を通って柵の外の空間に持ち出した玩具はほんの少しです。
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柵から大分離れた所にある、ボックスを繋げて作った<テーブル>を囲んでいる子ども達、たまたまそこに座ったようです。
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玩具もなく、なにをしているのかな?と覗いてみると、<ボックス>に開いた穴(ボルトを通してボックスを繋げるようにするための穴)に指を入れて遊んでいます。
穴に指を入れて出し入れしている<感触>が楽しいのでしょう。この穴も玩具になっているようです。(水に触れて水の感触を楽しむようなことに近いのでしょう。)

「草もこの穴に入るよ!」と近くに生えている草を抜いて子ども達に渡しました。
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早速、草を集め始めました。
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「おもしろそーだな」と子ども達が集まってきました。
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園庭のいろいろな所から草や葉を持ってきます。
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私も子ども達と一緒に植物を捜しにいきます。(子ども達より私の方がよく知っていますからね)
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たくさん草や葉が集まりました。一人の子どもが「園長先生の誕生日?」と聞いてきます。「ちがうよ」と答えるけれど、誰かの誕生日パーティーになったようです。
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<宴>のあと
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区切られた<空間>、誘発する物(玩具)が遊びを誘発します。

柵で区切られた空間と砂場遊びの玩具、
ボックスを繋いだ<テーブル>の周囲という空間とボックスの穴というもの(玩具)
同じ<テーブル>の周囲という空間と草や葉という物(玩具)

それぞれの空間で物によって遊びの様相も異なってきます。

<昭和幼稚園のHPへもお越し下さい>

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No title

ジジです。

風という情報をキャッチして、泳ぎ方を変化させていく鯉のぼりのように・・・・・、

子どもたちが、視覚から情報をキャッチして行動を変化させていく様子が面白いと思います。

仕切り棚を境にして、閉じられた空間では手を使ったあそびが、開かれた空間では全身を使ったあそびが発展しているように思いました。

「ボックスの開いた穴にゆびを入れてあそんでいます。・・・・・この穴も玩具になっているようです」

「ボックスの穴と言う玩具・・・・、草や葉と言う玩具・・・・・、それぞれの空間でモノによってあそびの様相も違ってきます。」

おもしろいです。

ジジは、おもちゃ屋さんですが、「知育玩具」と言う言い方だけはしないようにしようと思ってきました。

これでは、「子ども観」が逆転してしまいます。主人公は子どもなのに、玩具が主人公のように勘違いしてしまうと思ったからです。

小さな穴を手がかりにして、いろいろな草を集め、子どもが集まり、園長先生の誕生日の日にまで飛躍していきます。

子どもは小さな科学者であり、社会学者ですね。

この延長線上に小学校生活を営むことが出来たら、子どもたちは学ぶことが好きになるでしょうし、「他者をいじめて憂さを晴らす」というようなことも少なくなるでしょうね。

「21世紀の保育モデル」という著書の中で、辻井正氏が「子どもには感覚的な体験をできるだけ与えます。物が近くになかったり、感覚を充分に使えなかったりすると、子どもの注意と意欲は急速に減退します。感覚を使えば使うほど、子どもはより簡単に意欲を持って学ぶことができます」と子どもの類似性としてのべていました。

これは、「オランダの保育モデル」としての考え方ですが・・・。

大きな空間と小さな空間、そして中くらいの空間、ここにヒトとモノとデキゴトが点在しています。

子どもたちはここから、それぞれにストーリーを織り込んでいくようですね。

昭和幼稚園の子どもたちに拍手、園長先生にエールを送らせていただきたいと思いました。

僭越ですが・・・。


Re: No title

ジジ様

コメントありがとうございます。

子ども達の行動をジジさんのように見て頂ける方がたくさんいたらな〜、とつくづく思います。

> この延長線上に小学校生活を営むことが出来たら、子どもたちは学ぶことが好きになるでしょうし、「他者をいじめて憂さを晴らす」というようなことも少なくなるでしょうね。
>
> 「21世紀の保育モデル」という著書の中で、辻井正氏が「子どもには感覚的な体験をできるだけ与えます。物が近くになかったり、感覚を充分に使えなかったりすると、子どもの注意と意欲は急速に減退します。感覚を使えば使うほど、子どもはより簡単に意欲を持って学ぶことができます」と子どもの類似性としてのべていました。
>

上記のことは<生きること>、<学ぶこと>の基本ですね。
しかし一般に<学ぶ>こととして思われているのは、予め決められた<レール>に沿って外れないように行動すること、でしょうか。例えば、<字を憶える>、しつけに代表される<上から目線のルール>の習得、など、それも必要なことではありますが、本来の<学ぶ>、<生きること>にとってほんの一部でしかないように思います。

保育とか教育とかいう営みが、今までのしがらみにとらわれない方法で行われてもらいたいですね。これから増々先が読めない時代ですから、尚更です。

はじめてブログを拝見しました。

はじめまして。
masaさんのブログをブログ村で見つけ、むさぼるように読んでいました。
「遊び」カテゴリーの記事、全て読んでしまいました。

大変面白く、子どもたちがイキイキとしている様子が伝わってきて、この園で育った子たちは、きっと生きるエネルギーに満ちあふれて小学校へ巣立っていくのだろうなと感じます。

学習ドリルをたくさんやって、学力を高めた子どもたちよりも、
masaさんの園のような自然な遊びをたくさんし、異年齢のこたちと影響しあい、身体も感情もたくさん動かした子どもたちの方が
イキイキと、力強く行きていけるのだろうなぁと。

遊びは、空間と物が誘発するとのことでしたが、ブログを読んで、
子ども「たち」、子どもが複数人集まってこそ、面白く豊かに発展していくのだと思いました。

今、1歳7ヶ月の息子を育てています。

子どもは、子どもから学ぶ。
子どもは、子ども同士で遊ぶのが一番。

そんなふうに思っていても、ご近所付き合いのまったくない、マンションでの育児。
家の中にいれば、母子1対1。
公園や児童館に出かけてはみるものの、子ども同士が影響しあい、遊びを発展させていく場面がなかなかありません。(だだっぴろいスペースが多く、仕切られた空間、空間を仕切るような物体が少ないのも原因の一つなのか!と発見です。ドラえもんに出てくる公園の土管は、遊びに多くな役割を果たしていたのですね。)

私が知育や早期教育に興味があるものですから、どうしても一緒に遊ぶと言っても「手先が器用になるように◯◯のおもちゃを与えよう」「賢くなるように◯◯させよう」と考えがち。
子供の遊びの中に、私が目的を持ち込んでいます。(私の目的通りの遊び方を無理強いすることはなく、子どもの遊び方を見守るように気をつけていますが)

子どもが1人、大人が1人という空間の中での遊びについて、masaさんはどのようなことを考えますか?
漠然とした質問で恐縮ですが、考えたことや感じたことなどをお聞かせいただければ嬉しいです。

今後も、ブログの更新を楽しみにしています。

Re: はじめてブログを拝見しました。

ちゃこ様

当ブログへお越しいただきありがとうございます。

人間は周囲の環境から感覚器官を通して影響を受け、変化していくのですね。
あえて「変化」として、「成長」としなかったのは、年齢が高ずるにつれ、退化していくものもあるだろうからです。
子ども時代にもっていた<鋭い>感性が大人になって退化し、なんの感動もしなくなったようなことは多々あるでしょう。
子どもは子どもなりの論理性を追求しているなと、子ども達と接していて強く感じます。その論理性が大人とは異なるのですが。「ちいさい言語学者の冒険」(岩波科学ライブラリー、広瀬友紀著)をついさっき読了したところですが、子どもの言葉の面から言葉の獲得、子どもなりの論理の追求から大人の言葉環境への変化ということが、子どもとその母親である著者の様々なエピソードを交えて書かれていて興味深いものでした。

感覚を通しての直接的な体験が言語のみならず、多方面にあることが大切だと考えています。例えば、園庭の植物もあまり手を入れず、雑草も生えたまま、落葉も片付けない・・・雨後の園庭の水溜りもそのままにしておく・・・それらの環境から「大人の意図(教師による設定保育など)」から受けるよりずっと多くの直接的な体験を得られるだろうからです。
子ども一人一人にとって、落葉一つから感ずることは、それぞれ異なるでしょう、子ども達が混じり合い、影響し合い、(変な方向付けをしない)大人も混じり合い、そこに子どもの文化が形成されていきます。そんな子どもの文化を大切にしたい、そんな意図で園を運営しています。

ちゃこさんのブロブを拝見しました。
早期教育などに関心をお持ち、でも無批判にそれに没頭できない・・・
そんなちゃこさんのお気持ちを察しています。
ご自身の子ども時代のことを思い出してみたら、いかがでしょうか。1歳〜2歳の頃の記憶はないかもしれませんが、ご両親に聞いてみたらどうでしょう。
子どもが一人、大人も一人という空間での遊び、先入観など無くして(難しいことですが)大人も感覚的に感ずるように子どもと一緒に振る舞ったら、どうでしょうか。穴に指を出し入れしているのをみて、私も「おもしろそう」と思い、そこから植物の採取に移っていきました。もちろん、子ども同士のふれあいがある機会を捜してみることは大切です。大人のの視点で、子どもを振り回すようなことは避けるように気をつけたいと思います。

まとまらない話で、申し訳ありません。ブロブの更新は遅遅としていますが、ご意見、ご感想等よろしくお願いします。

お返事ありがとうございます。

masa様

ご丁寧なお返事をありがとうございました。
私のブログの方にもコメントを下さり、何度も読み返しています。

>>感覚を通しての直接的な体験が言語のみならず、多方面にあることが大切だと考えています。

私の住む地域では、全ての公園において、砂場に柵がしてあります。動物が勝手に入らないように、だそうです。
そして、毎朝、公園整備の方が、砂場に入り込んだ落ち葉や大きな石を除去し、砂をきれいで真っ平らな状態に戻してくれています。

ここに引っ越してきたばかりのとき、これにものすごく強い違和感を覚えました。衛生面ではありがたいのですが、なんとも人工的な遊び場なんだな、と。
川も綺麗に整備され、草の生えた土手もありません。
水遊びをさせるのは、自然の川ではなく人工的なじゃぶじゃぶ池や噴水。
私が育った環境では当たり前にあったものが、子育てをしている今、貴重な環境だったのだな、とわかりました。この中で、いかに直接的な体験ができるように工夫するかですね。
masaさんの園が近くにあったらなぁ、と思います。

>>(変な方向付けをしない)大人も混じり合い
「変な方向付けをしない」という言葉が、早期教育に抱く私の違和感をとてもうまく表しているな、と感じます。ありがとうございます。
知育玩具や早期教育の教材は「◯◯ができるようになるため」「◯◯の力を高めるため」という方向付けを明確に形にしていますね。

>>1歳〜2歳の頃の記憶はないかもしれませんが、ご両親に聞いてみたらどうでしょう。
そうですね。子育てをしていると、私はどんなふうに育ったのか、私はどんなことを感じながら育ったのか、思い出す機会がたくさんあります。
両親にやってもらってよかったこと、もっとこうしてほしかったと思うこと。
子どもと一緒に、私も育っているのだなぁと感じます。

Re: お返事ありがとうございます。

ちゃこ様

公園の砂場や河原の整備、いろいろな対応があるものですね。

私の子ども達、多分ちゃこさんと同世代のようですが、
今から思えば、子育てで、私自身が受けて来きた親からの影響が意識、無意識にあったことがよくわかります。
それを素直に受け入れたり、それに反したことをやってみたり、子育ては自分の親離れでもあったようです。
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プロフィール

m.k.masa

Author:m.k.masa
諸々の事柄に、なぜ?、どうして?という感覚をも持ち続けたい幼稚園園長です。
京大理学部卒、大学院修了
(うさぎ年です)

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