セミ、セミ、シャー、シャー・・・

毎日暑い日が続きます。

朝、木々からセミの大合唱が聞こえてきます。
2017-07-21-017df.jpg

2017-07-21-015df.jpg

木々に止まって、鳴いています。
また木々に飛び移っている光景も見受けられます。
2017-07-21-026df.jpg

登園した子ども達、<手製>の網を持ってセミ採りです。
2017-07-18-002e3.jpg

この網の材料は?
クリーニングから戻ったときに付いてくる<針金ハンガー>に買物の際にもらう<レジ袋>をつけて、七夕飾りをつけた竹に取り付けたもの。
身近な材料でもできること、保護者の皆さんにも知ってもらいたいものです。

さて子ども達は10時過ぎに一旦教室にもどります。
その頃、やかましく鳴いていたセミも鳴き止みます。
(今、園庭の木々にいるセミは「クマゼミ」がほとんどです)
まるで<教室にもどる時刻ですよ!>という合図のようなものです。

セミは種類によって、鳴く時間が決まっているようです。
まさに「セミ時計」です。

ちなみに「クマゼミ」は「シャーシャー」と鳴き、明け方から10時頃まで盛大に鳴き、午前中でほとんど鳴き止んでしまいます。
これから増えてくる「アブラゼミ」は「ジージリジリ」と鳴き、朝から夕方まで鳴き、特に夕方盛大に鳴きます。

<セミ採り>を通して、こんな自然界の仕組みを体験できることはすばらしいことではありませんか!

セミ採りの際の参考にどうぞ!

<昭和幼稚園のHPへもお越し下さい>

コメントの投稿

非公開コメント

No title

ジジです。

「シャー、シャー」とか「ジージジジジ」というセミの鳴き音を聞くと、「夏だな~」と思いますし、不思議と子どものころの情景を思い出します。

暑い気温と重なって、「アツイゾ・・・」と文句を言っているようにも聞こえますし、暑さを跳ね返すかのように「ボクは負けないぞ」と頑張っているようにも聞こえます。

最近ジジは「アフォーダンス」という言葉に挑戦しています。まだあまり聞きなれていない言葉ですが、生息環境からピックアップされる「意味と価値」のことのようです。

この言葉を初めて使ったのは、知覚心理学者のJ・J・ギブソンという人ですが、1904年にオハイオ州に生まれたと略歴に書かれています。

「生態学心理学」という新しいジャンルを築いた人で、「ヒトも地球上に住む生物の一つの種である」が前提になっています。

ここのところが面白いと思いました。

数年前、ギブソンの「生態学的知覚システム」東京大学出版会の本を購入して読んだのですが、ジジの頭脳ではとても理解できない代物でした。それでも繰り返しながら挑戦したのですが、やっぱり理解不能でした。

5~6年という歳月は不思議なもので、その間に取り立ててこだわっていた訳ではないのですが、どういうわけかこの「アフォーダンス」と言う言葉が手に届きそうなところに来ていました。

「来ていました」と言う言い方は適切ではないのかも知れませんが、なんの努力もしていないのに向こうから近づいてきていたという感じですね。

そういう訳で、いま夏の蝉の声が「ボクは負けないぞ」というように聞こえてきます。

アフォーダンスと言う言葉は、ボクたちヒトが「樹木やセミや木陰や木漏れ日や雲」から意味をピックアップしているように、セミもジブンの生息環境から意味をピックアップして生きているということを等価としています。

ここのところが面白いと思います。

ギブソンに言わせると、今の心理学(認知心理学も含めて)は、人間を中心にして発想されてきた歴史があって、基本的なところで間違っているということです。

ダーウィンの進化論も1850年ころには、センセーションを起こしたようですが、それに相応するようなアプローチのようです。

アフーダンスは、日本語で「行為の可能性」と訳されています。この訳が良いかどうか微妙なところもありますが、これ以上の訳し方はないだろうという気もします。

> こんな自然界の仕組みを体験できることはすばらしいことではありませんか <

ヒトの周辺には膨大な価値が埋め込まれていて、そこから意味をピックアップしてこと、生きるということはそういうことだということですが、

セミの周辺にも膨大な価値が埋め込まれていて、そこから意味をピックアップして、セミは生きているということです。

勿論、ヒトにとっての意味と、セミにとっての意味は違うのですが、ヒトの意味の方が高級だということでもないようです。

こんなところが、面白いです。

常識にとらわれている大人は、自分の周辺から新しい意味をピックアップするのは下手かもしれません。

それに比べると「アフォーダンス」は子どもたちの得意分野かも知れません。

かれらはときどき、理解不能のような行動をしますから。私たち大人は「そのことにはどのような意味があるのか?」と問い直す勇気がいるようになるのかも知れないと思っています。







Re: No title

ジジ様

いろいろと示唆に満ちたコメントありがとうございます。

心理学だけでなく、世界の認知、認識に関しても人間中心ですね。
例えば物理学的な世界観、微に入り細に入り構築されているように思えますが、所詮人間の感覚から演繹された世界像でしかないでしょう。
セミが構築している世界観だってあるはずです。人間の世界観とは異なっているはずです。お互いに理解できるところはあるでしょうが(例えば、鳴く時刻)、重ならない範囲の方がずっと大きいと思います。人間の描く世界観とセミの描く世界観の優劣をしても意味のないことだと思います。(もっともほとんどの人間は人間のほうがセミのものに比べてずっと高級だち無意識に思っているでしょう。)人間とセミと生息環境も違いますし、その環境との接点となっている感覚器官の機能も当然異なるわけですから。

同じことが、こどもと大人のことでも言えるのでしょうね。

こどもの世界観と大人の世界観、優劣はないのではないかな、と思います。
成育していくうちに新たに獲得していくこともあるでしょうが、逆に退化していくこともあるのでは。

人間が構築している世界観だって、硬直した思考から、とらわれない思考が新しい世界観に導いています。
科学革命といわれるのは、そのような思考の賜物です。

こどもの発する行動や意味を硬直した大人の思考ではなく、もっととらわれなく見つめたいものです。
プロフィール

m.k.masa

Author:m.k.masa
諸々の事柄に、なぜ?、どうして?という感覚をも持ち続けたい幼稚園園長です。
京大理学部卒、大学院修了
(うさぎ年です)

最新記事
ランキング
にほんブログ村 教育ブログ 幼児教育へ



人気ブログランキングへ
最新コメント
最新トラックバック
ご意見、ご感想はこちらから

名前:
メール:
件名:
本文:

カウンター
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

フリーエリア