空間の認識と表現

私たちが生活している空間をどのように認識し、どのように表現しているのでしょうか。

ホールを舞台にして行なった<音楽会>の絵画から

年長児
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画面の上は照明、下部の紺の部分は<暗い>観客席。中央は舞台で自分達が演奏している空間。
この空間には演奏している自分達と楽器が配列されています。それ以外なにも描かれていないし、色も付けられていません。

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この2枚は最初の絵と異なり、舞台も色付けがされています。舞台の<上>、舞台、観客席のそれぞれの明暗を表示しようとしています。

年中児
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年長児のような舞台と観客席との明確な<空間的な分離>はないようです。年長児の絵画のような、一つの視点から舞台と観客席を描くのではなく、多点的な視点から見た事物を2次元の1枚の紙に描いているようです。(演奏している自分達を描く視点と観客席を描く視点は異なる・・)
2枚目の絵には、音符が描かれていますね。この園児は音符を知っているんですね。そして音楽会が催されたホールには、音符で示される<音場>が満ちていることを表現しているのですね。

年少児
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黄色の色画紙を使っています。
年少児では、演奏している自分達が中心です。観客などは表現されていません。
2枚目〜4枚目に、画面上に線や丸などがいっぱい描かれています。これは<音場>が満ちていることを表現しているようです。さきほどの年中児では音符でしたが、線や丸などがそれに代わるものなのでしょう。

<音場>を示す線や丸、音符などが表現されていないとしても、ホールには<音場>が満ちていたことは誰でも認識していたはずです。
認識していたことを全て表現することはないのです。表現しようとする意思があるかないか、でしょう。

ここに掲載した絵では、画用紙の地の色(白画紙だったら白)のままの部分がたくさんあります。
何も塗っていない部分がたくさんあるのがこどもの絵です。
なにも描いていないから<なにも無い>のではなく、認識していない、または表示する必要性を感じていないからなのです。
何も塗っていない部分がないように指導する絵の指導者(大人)がいるようです。こどもの認識や意思に無頓着な大人、勝手な考え方だけで<指導>をする人なのでしょう。(このような大人は、墨の濃淡だけで描かれた水墨画を理解することができないでしょう。)

私たちの空間に対する認識、意識はどでしょうか。
配置している物を取り巻く空間は<なにも無い>のでしょうか。
かつては<なにも無い>空間でした。しかし人間の認識が進展し、目には見えないけれど、空気が満ちている、と変化してきました。
真空という概念があります。空気もない状態ですね。しかしそこには<なにも無い>のでしょうか。そうではなく重力場や電磁場など様々な場がいっぱい詰まった空間なのです。
さらには、最近の物理学などが示すには人間の感覚レベルではまだ感知出来ない<ダークマター>やら<ダークエネルギー>が満ちている空間なのだそうです。

認識していない、また意識していないから<なにも無い>ように思われるかもしれません。表現としては<空白>のままです。しかし認識したら、あるいは意識したら、そこになんらかの表示がでてきます。さきほどのこどもの絵のように、<音場>を示すものが。

<空白>は<なにも無い>のではなく、<いっぱい詰まった>状態なのです。
仏典の般若心経にでてくる<色即是空、空即是色>に通ずることです。

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m.k.masa

Author:m.k.masa
諸々の事柄に、なぜ?、どうして?という感覚をも持ち続けたい幼稚園園長です。
京大理学部卒、大学院修了
(うさぎ年です)

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