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へそ曲がりな私!?

小惑星「リュウグウ」の物質が入ったカプセルが回収され、探査機<はやぶさ2>の成功が大きく報道されました。技術的に困難な諸課題を克服して大成功を収めたことに敬意を表することに異論はありません。

しかし、ちょっと?思ってしまうのです。
<玉>を「リュウグウ」に衝突させ、衝突で放出された物質をカプセルに収めた、ということでした。
衝突させるのに<誰>の<許可>を得たのでしょうか?
衝突させることに何らかの感情はなかったのでしょうか?
「リュウグウ」は<痛くなかった>のでしょうか?
<はやぶさ2>関連の報道を見ている限り、そんな感情はちっともなく、大成功!大成功!のオンパレードです。
科学的な知見を得るためなら、「何をやってもいいのだ」というような人間の<驕り>を感じてしまうのです。

金子みすゞの「大漁」
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 朝焼け小焼だ大漁だ
 大羽鰮の大漁だ

 浜はまつりのようだけど
 海のなかでは何万の
 鰮のとむらいするだろう
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小松左京の「人類裁判」(小松左京セレクション2、河出文庫)
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人類が太陽系外の宇宙空間へ進出した未来の話。
野放図な資源開発や異星生命体への残虐な処分について、 また人類の過去の人類や動植物、家畜に対する残虐な処分に対して<汎宇宙精神体連合>から裁判を受け、有罪となる、という筋書き。
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を想起してしまうのです。

「何をしてもいい!」ではなく、相手や対象に対してなんらかの感情を持って接してもらいたいと思うのです。

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朝顔が咲きました。

2020-07-30-043e3.jpg

花を摘んで色水遊びをします。
積むときに「遊ぶからちょうだいね」と声をかけるようにしています。

クチナシの花の匂いを嗅いでします。
いい匂い!と声をかけています。

2019-06-12-026e3.jpg

ヒマワリが咲きました。
背比べです。
2020-07-30-041e3.jpg

空想的な思い入れかもしれません。

しかしそんな感覚、感情をもった人言に育ってほしく思うのです。

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非公開コメント

いいえ。

m.k.masaさんのは、ちゃんと正しい方向を向いていると思いますよ。
双方向、あるいは多面的にものごとを考える人がもっと増えないと、人類は間違いなく滅びます。「新型コロナ」の情況が示しているのではないでしょうか。人優先の奢りから招いた「禍」を、人優先に「克服」しようとする、なんて出来っこない!
「へそ曲がりさん」が爆発的に拡散することを願うものです。

Re: いいえ。

森の妖精アイ様
コメントありがとうございます。

あまりにも人優先な考えが無意識にはびこいっています。
家畜に感染病が流行れば、「殺処分」・・・・・
日本には他(人間だけでなく、食物、人形、人間と関わり合いのある物、etc)を思いやる文化があったと思うのですが。
例えば、「針供養」やら「鰻供養」まど

どこで道を外してしまったのでしょうか?

No title

ご無沙汰しております。昨年8月に現役を退いて、どうしようかなぁ?と考えていました。職を失うことは、自由を得ることでしたが、この場合の自由は「空中に漂うこと」のようなので、取り敢えず「ポストピアジェ」を考えることにしました。

20世紀を代表する発達心理学者を一人上げよ!と言われたら、ピアジェと答える人は多いと思いますが、ピアジェの心理学から「あそびとはなにか?」を導き出すのは難しいと思いました。

なぜなら、あそびには発達と言う概念だけでなく、情緒の成熟という概念も含まれているからです。

情緒の未成熟といえば、ヒステリーの研究をしたフロイトの精神分析学が思い浮かびますが、20世紀の精神分析学と発達心理学はどういう訳か?交流することなく別々の学問として発展してきたと思います。

子どもの遊びを観察していると、発達的機能的な側面と、感情的情緒的側面が、車の両輪のように補完し合っていることが分かります。

例えば>クチナシの花の匂いを嗅いでいます。いい匂いと!声をかけています<とありますが、この「いい匂い」と言う言葉の中には、気持ちが良いという感情と、言葉としての認知機能が働いています。

ですから、学問として精神分析学と発達心理学が別々に研究されてきたことは仕方がないとしても、乳幼児期の子どもと関わり合うときは、両方を視野に入れなければならないような気がします。

経験的に昔の人が、10歳以上の子どもたちに対してだと思いますが「よく学び!よく遊べ!」と言っていたのは、そういうことだと思います。

このブロブの題名は「へそ曲がりな私!?」ということで、はやぶさ2のことと、金子ミスズの「大漁」の詩が取り上げられていましたが、ジジも丁度、石牟礼道子の「苦海浄土」を読み直しているところでした。水俣病の被害にあった人々への鎮魂歌と言っていいと思います。

そいう言う意味では、近現代の人々から見れば、石牟礼道子も明らかに「へそ曲がりな人!?」だと思います。

ポスト・ピアジェについてですが、最近I.ブリゴジンとL.スタンジェール著「混沌からの秩序」みすず書房に出会いました。これはポスト、ニュートン力学の内容ですが、第6章は「ゆらぎを通しての秩序」です。園長先生は読んでいらっしゃるかもしれませんね。

ジジより

























Re: No title

コメントありがとうございます。

ピアジェを深く読んだのではありませんが、英訳で「play ,dreams and imitation in childhood」を読んだことがありました。もうすっかり忘れてしまっていますが、分析をしているが、教育現場で子どもとどのような関わり合いを持つのかというヒントなりが見えてこなかった思い出がありました。

確かにピアジェなどの発達心理学では認知機能の分析には熱心ですが、情緒的な側面は乏しく、ジジさんのおっしゃる通り、両者を
踏まえた考察が必要でしょう。

自己を離れた傍観者的な見方がいわゆる<科学的><近代的>な見方だとすれば、自己と他への目配せ同時に意識する見方は反近代、反科学的な「へそ曲がり」かもしれません。

ブリゴジンとL.スタンジェール著「混沌からの秩序」は全く初耳です。みすず書房のHPで内容をざっと見ましたら難解なようですね。
時間の捉え方が可逆、不可逆、秩序、混沌と関わってくるので、以前から私にとっては難解な課題でした。
<時間の方向性について、一方向に流れる(過去から未来へ)>というのは<当たり前>だ思っていましたが、それだって人間の作り出したものかもしれません。時間の流れを<循環的>なことと捉える文化もあるようです。そのような文化ではまた違った自然像が作られるかもしれませんね。

私もあと1年半後くらいには<幼稚園とはおさらば>することになります。その時以後には<幼稚園の経営につきまとう雑多なことから解放されて>さぞ自由になれると<楽しみに>していますが、どうなることでしょう。
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m.k.masa

Author:m.k.masa
諸々の事柄に、なぜ?、どうして?という感覚をも持ち続けたい幼稚園園長です。
京大理学部卒、大学院修了
(うさぎ年です)

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