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目的と手段

<目的>を達成するための方法として<手段>がありますね。
一つだけの場合もありますが、一般的には多数の<手段>があるでしょう。

現在コロナ禍の真っ只中です。
感染予防とか感染撲滅といった<目的>のためにさまざまな感染対策、<手段>がとられています。

マスク着用も多くの<手段>の一つです。
しかし
現在家から出れば、ほぼ全員マスク姿です。
一人で車を運転していてもマスク着用の方々が圧倒的ですね。
周りに人がいないのに、一人でポツンと歩いていてもほとんどの人はマスク着用です。

これらの様子を見ていると、マスク着用が<手段>ではなく、<目的化>しているように思われます。
<マスクを着用しなければならない>のであって、マスクの効果、あるいはマイナス面などどこかに吹っ飛んでいるようです。思考停止に陥っている感があります。

教育現場にも<手段>が<目的化>してしまっていることが多数あるかもしれません。
知らず知らずのうちに。

例えば、運動種目の<逆上がり>。
本来、跳びついても上がれないような高い所に上がる方法<手段>の一つなのに、
<逆上がり>なる動作が<目的化>して、<アホ>みたいな<逆上がり補助器具>(斜面を足で蹴って、その勢いで、鉄棒の周りを身体が回転するようにする道具)が各教材会社のカタログに掲載され、全国の学校などに配置され、<逆上がり>なる動作ができるようにしているのです。
蹴ったり、跳びついてもできない条件が本来の<逆上がり>のはずが、蹴ったり、跳びつたりすることが必要となっていて「なんのこっちゃ!?」です。

本園では<アホ>みたいな<逆上がり補助器具>はありません。
2021-01-29-039dfのコピー

2021-01-29-046dfのコピー

明日からは3月、園庭の桃もたくさん開花してきました。
2021-02-28-002a7-2.jpg

2021-02-28-005a7-2.jpg

花も園児等を待っています。

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No title

 逆上がりが手段とは知りませんでした。子どもの頃は、鈍くさい私をみんなが鉄棒の上から見下ろす苦痛の時間でありました。また、体力評価のための種目だと思ってきました。
 目的と手段、ぐちゃぐちゃになってるが故の危険が溢れているように思います。食べる、排せつする、寝るは生きるための手段。誰もが幸せに生きるために、教育や労働や・・・・、カネもうけでさえ、そうであったはず。 最たるものは政治、その道のプロの「政治家」さんが、みんなが幸せになるための手段を独り取り込んで目的化して、世の中まるごと歪めちゃってると思います。                  


Re: No title

コメントありがとうございます。

私も運動音痴で体育は辛い時間でした。逆上がりは高校になって初めてできました。体育の時間ではなく、ハイキングを主体とした高校のクラブ活動に入り、その活動の中でできるようになったと思います。
体育には各競技種目の習得が<目的化>していると思います。本来の体育は<健康で、安全な生活に必要な身体能力、習慣や態度を身につける>という大きな<目的>があるはずなのに、オリンピックを代表とするような競技大会の<下請け>に成り下がっています。
各教科についても似たような状況でしょうね。

学校以外に目を向ければ、似たような状況でしょう。特に<政治>の面は酷すぎる、と痛感します。

No title

モクレンが白い花を満開にしています。
桜の蕾が丸みを帯びて、今にも開花しそうです。
熊本もすっかり春になりました。ジジです。

目的と手段がごっちゃになってしまうことはよくありそうです。ジジは現在進行中の東京オリンピックもそうかも知れない、と思います。

今から55年前の東京オリンピックの時は、IDC会長のクーベルタン男爵が「オリンピックは参加することに意義がある」と言いました。陸上競技で、スタジアムに最終ランナーが入場した時も、観客席から惜しみない拍手が送られていたのを記憶しています。エチオピアのアベベ選手が裸足で走ってマラソン優勝したことも、多くの人々を驚かせましたね。

「オリンピックは参加することに意義がある」

この言葉は、イギリスから見ると、遥か彼方のアジアの果ての幻の国ジャパンにある、片田舎の中学生の心にも、新鮮に響いてきました。そして多くの若者に感動を与えたと思います。

新型コロナのパンデミックの渦中にあって、今なぜ東京オリンピックを開催するのか?世界中の人々の心に響くような、その確かな目的を、美しい言葉で表現して欲しいですね。

同様なことは、小中学校の教育についても言えます。今なぜ勉強が大切なのか?子どもたちに分かる言葉で語ってほしいです。ただ宿題をして来い!とかテストで良い点を捕れ!では分かりませんものね。

テストのために勉強をするというのも、目的と手段がごっちゃになっているかも知れません。

ジジから見ると、学校は、唯一子どもたちが安心して集まれる場所です。

かっては、多少のリスクはありましたが、海、山、川、路地裏、野原、廃材置き場など子どもたちが集まれる場所が、あちらこちらにありました。でも現在は何処にもありません。不動産的価値として大人たちが全部取り上げてしまったからです。

学校は、子どもたちが集まって「自由に交流したり遊べる場」に
なるといいですね。そこから「なぜ学ぶことが大切なのか?」子どもたちと一緒に、先生たちも考えていけると良いと思います。

「生き生きとして元気であること」

何をするにしても、ここが子どもたちのスタート地点ですよね。



Re: No title

コメントありがとうございます。

1964年の東京オリンピックの時は私は中学1年でした。聖火が市役所前の広場で一晩泊まっていて夜友達と見に行ったこと、翌日聖火リレーを沿道で見送ったこと、オリンピック期間、学校は午前でおしまい、家でオリンピック中継を見ていました。子供だったこともあり、純粋に選手の姿に感動していと思います。
現在ではオリンピックは何のためという<目的>が選手個人、記録、国家、経済・・・いろいろなことが絡み合って、一般人がスッと納得することがなく、コロナ禍も追い討ちをかけ、<やめてもいいんじゃないか>と思うものです。

子供にとって学校の存在は昔に比べて確かに重要ですね。
なぜ学ぶのか、ということを短絡的な目前のこと(試験のめ、進学のため、就職のため、・・・・)ではなく、長い人生の中で見いだすようにしてもらいたいものです。
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m.k.masa

Author:m.k.masa
諸々の事柄に、なぜ?、どうして?という感覚をも持ち続けたい幼稚園園長です。
京大理学部卒、大学院修了
(うさぎ年です)

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