今週の絵のコーナー
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クレパスで描いた後イーゼルに絵を立てて、絵筆に絵具をたっぷりと含ませて
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えい! 絵筆を持った腕を大きく勢いよく、振り下ろします。
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絵具の<しぶき>が画面に飛び散ります。<水>の表現になります。

子ども達はこの筆の使い方が大好きです。
絵具の<しぶき>がどのようにつくのか、予測不能です。そこに<揺らぎ>が生じます。
絵筆を持った腕を大きく勢いよく振り下ろす動作も、心地よい感覚をもたらします。
まさに<遊び>の要素満載です。

<昭和幼稚園のHPへもおこしください>
今週から2学期が始まりました。

今年は朝顔もヒマワリも開花のピークはとっくに過ぎ、しおれた花、種が園児達を迎えています。
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以前に書きましたように、朝顔、ヒマワリのところの標識とし、種や枯れた状態の姿を掲示しています。

鉄棒で遊ぶのは、久しぶりです。
年長児です。
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<逆上がり>の途中で、あえて上体を起こさないで途中でとまっています。手を離して腹部で身体を支えています。
「<布団干し>みたいだね!」と声をかけると、うれしいのか、「みてて!」と、なんども繰り返します。

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ちょっと離れた別の鉄棒でも<布団干し>

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小学校や幼稚園でよくみかける、「逆上がりの補助器」と称する斜面を足で蹴って駆け上がって、<逆上がり>のような動作をすることでは、勢いがつきすぎて鉄棒の周りの回転をコントロールすること難しくなります。そしてこんな<布団干し>のような多彩な動作へと導きません。

こんな年長児の様子に触発されて、「わたしだってできるもん!」と年中児も<逆上がり>を始めました。

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園内のいろいろな場所で、園児達が互いに触発されながら、いろいろな経験を積み重ねていくのが楽しみです。

「逆上がりの補助器」と称する器具は本来の<逆上がり>の動作を阻害するもので、幼稚園や小学校の至る所に置かれているのは、なぜでしょう?
教材を作っている会社、体育の先生をはじめとして教師の皆さん!もっと考えて下さいね!

<昭和幼稚園のHP>
夏の終盤になってきました。

園庭の樹木では相変わらずセミの大合唱です。
園庭の植物、ヒマワリや朝顔は開花の全盛をすぎたようです。

オシロイバナが花をつけ始めました。
日が高いうちにはつぼみの状態なのに、
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夕方になると、開花します。
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セミは種類によって鳴く時刻が決まっていたり、朝顔は早朝、オシロイバナのように夕方、というように開花の時刻が定まっているようです。

動植物は体内に時計を持っているようです。人間は<時計>という機械に頼らなくてはなりません。その点では、人間は時刻を認知するという点で、それらの動植物より<劣って>いるかもしれません。

ある一点の時が時刻ですが、時の流れ=時間という概念があります。
時刻は<時計>が示す指標(時計の針の位置、デジタル表示ではその数値)、太陽や天体の位置で認知できます。
時間はどうでしょうか?
朝起きて、<時計>を見て時刻を確かめ、寝たときの時刻を思い出して、計算して寝ていた時間を認知しています。もし<時計>がデタラメな時刻を示していたら「正しい」時間はわかりません。またカレンダー表示のある<時計>でなかったら、寝ていた時間が1日以内なのか、日を超えているのかもわかりません。
ペローの童話、グリム童話にある「眠り姫」は100年間眠っていたことになっていますが、眠り姫自身はどれほど眠っていたと意識したのでしょうか。

時間は<時計>の針の運動の経過、天体の運行の経過、人間の感覚としては、動作の経過として認知しています。動作の経過として、例えば、歩いた距離、本を読んだページ数、仕事の作業量・・、多分に精神的な要素が入り込んできます。
人間の普通の感覚から得られる時間という概念は、各個人によってまちまちで、万人に共通な時間というのはなかなか難しい概念のようなきがします。

小学生のころ、昼休みに友達と校庭でボール遊びに夢中になって、時の経過をすっかり忘れて、教室にもどらず、先生にひどく叱られたことを思い出します。また大学生のころ、入り江のなかの無人の小島で泳いだりして、時の経過をすっかり忘れ、宿の人に行方不明と騒がれ心配をかけたこともありました。

こんな曖昧な<時間感覚>を<洗練させた>時間として<世界の記述>の基本単位としていることはある意味不思議なことだと思いませんか?

<洗練させた>時間をどのように形成していくのでしょうか?
とくにこどもの時間形成は?
私たちが生活している空間をどのように認識し、どのように表現しているのでしょうか。

ホールを舞台にして行なった<音楽会>の絵画から

年長児
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画面の上は照明、下部の紺の部分は<暗い>観客席。中央は舞台で自分達が演奏している空間。
この空間には演奏している自分達と楽器が配列されています。それ以外なにも描かれていないし、色も付けられていません。

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この2枚は最初の絵と異なり、舞台も色付けがされています。舞台の<上>、舞台、観客席のそれぞれの明暗を表示しようとしています。

年中児
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年長児のような舞台と観客席との明確な<空間的な分離>はないようです。年長児の絵画のような、一つの視点から舞台と観客席を描くのではなく、多点的な視点から見た事物を2次元の1枚の紙に描いているようです。(演奏している自分達を描く視点と観客席を描く視点は異なる・・)
2枚目の絵には、音符が描かれていますね。この園児は音符を知っているんですね。そして音楽会が催されたホールには、音符で示される<音場>が満ちていることを表現しているのですね。

年少児
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黄色の色画紙を使っています。
年少児では、演奏している自分達が中心です。観客などは表現されていません。
2枚目〜4枚目に、画面上に線や丸などがいっぱい描かれています。これは<音場>が満ちていることを表現しているようです。さきほどの年中児では音符でしたが、線や丸などがそれに代わるものなのでしょう。

<音場>を示す線や丸、音符などが表現されていないとしても、ホールには<音場>が満ちていたことは誰でも認識していたはずです。
認識していたことを全て表現することはないのです。表現しようとする意思があるかないか、でしょう。

ここに掲載した絵では、画用紙の地の色(白画紙だったら白)のままの部分がたくさんあります。
何も塗っていない部分がたくさんあるのがこどもの絵です。
なにも描いていないから<なにも無い>のではなく、認識していない、または表示する必要性を感じていないからなのです。
何も塗っていない部分がないように指導する絵の指導者(大人)がいるようです。こどもの認識や意思に無頓着な大人、勝手な考え方だけで<指導>をする人なのでしょう。(このような大人は、墨の濃淡だけで描かれた水墨画を理解することができないでしょう。)

私たちの空間に対する認識、意識はどでしょうか。
配置している物を取り巻く空間は<なにも無い>のでしょうか。
かつては<なにも無い>空間でした。しかし人間の認識が進展し、目には見えないけれど、空気が満ちている、と変化してきました。
真空という概念があります。空気もない状態ですね。しかしそこには<なにも無い>のでしょうか。そうではなく重力場や電磁場など様々な場がいっぱい詰まった空間なのです。
さらには、最近の物理学などが示すには人間の感覚レベルではまだ感知出来ない<ダークマター>やら<ダークエネルギー>が満ちている空間なのだそうです。

認識していない、また意識していないから<なにも無い>ように思われるかもしれません。表現としては<空白>のままです。しかし認識したら、あるいは意識したら、そこになんらかの表示がでてきます。さきほどのこどもの絵のように、<音場>を示すものが。

<空白>は<なにも無い>のではなく、<いっぱい詰まった>状態なのです。
仏典の般若心経にでてくる<色即是空、空即是色>に通ずることです。
毎日暑い日が続きます。

朝、木々からセミの大合唱が聞こえてきます。
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木々に止まって、鳴いています。
また木々に飛び移っている光景も見受けられます。
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登園した子ども達、<手製>の網を持ってセミ採りです。
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この網の材料は?
クリーニングから戻ったときに付いてくる<針金ハンガー>に買物の際にもらう<レジ袋>をつけて、七夕飾りをつけた竹に取り付けたもの。
身近な材料でもできること、保護者の皆さんにも知ってもらいたいものです。

さて子ども達は10時過ぎに一旦教室にもどります。
その頃、やかましく鳴いていたセミも鳴き止みます。
(今、園庭の木々にいるセミは「クマゼミ」がほとんどです)
まるで<教室にもどる時刻ですよ!>という合図のようなものです。

セミは種類によって、鳴く時間が決まっているようです。
まさに「セミ時計」です。

ちなみに「クマゼミ」は「シャーシャー」と鳴き、明け方から10時頃まで盛大に鳴き、午前中でほとんど鳴き止んでしまいます。
これから増えてくる「アブラゼミ」は「ジージリジリ」と鳴き、朝から夕方まで鳴き、特に夕方盛大に鳴きます。

<セミ採り>を通して、こんな自然界の仕組みを体験できることはすばらしいことではありませんか!

セミ採りの際の参考にどうぞ!

<昭和幼稚園のHPへもお越し下さい>
プロフィール

m.k.masa

Author:m.k.masa
諸々の事柄に、なぜ?、どうして?という感覚をも持ち続けたい幼稚園園長です。
京大理学部卒、大学院修了
(うさぎ年です)

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